長いトンネルだった。Audi Team Hitotsuyamaは2016年11月、もてぎで代替開催された同年の第3戦でGT300クラス初勝利を果たした。しかし、その後は時折速さを見せながらも結果にはつながらず、表彰台に立つことすらできなかった。
低迷したAudi Team Hitotsuyamaは今季、参戦体制を一新した。メンテナンスガレージを昨年レクサス陣営でGT500クラスタイトルを獲得したチームルマンに変更。さらにアウディのファクトリードライバーであるクリストファー・ミースを起用するなど、大鉈を振るった。
そのかいもあり、3月の岡山公式テストでは初日にトップタイムをマークするなど、今季は苦境を打開し「今年は優勝争いに絡める自信も芽生えた」と鬼木秀和監督は話していた。だが、現実は甘くなかった。
COVID-19の世界的流行によりミースの再来日は開幕に間に合わず、クルマとタイヤのマッチングもいまひとつ。第3戦鈴鹿では予選8番手となったものの、上位入賞を逃し、流れに乗り切れないままシーズン中盤戦に入っていた。
じつは今年、メンテナンスとエンジニアリングをチームルマンに依頼するにあたり、チームはマシンのセッティングを一度リセット。クルマの方向性を探り直した。
そして、第4戦もてぎでは予選26番手から5位入賞を果たしたが、そのときから「これじゃダメだねという方向」を見つけ出すと、第5戦富士を経て、チームは相性のいい鈴鹿で一発のタイムを追求するセットを模索したのだ。
そして、それが功を奏した。今季ベストとなる予選6番手を獲得。決勝に向けてはドライバーからの要望により車高の調整など、セット変更は最少限にとどめた。
決勝、前半スティントを担当した近藤翼は順調に周回を重ねる。当初は「ダンロップ、ブリヂストン勢の後ろをキープし、クルマが軽くなってからピットに入って後半にかける」という作戦だった。しかし、前を走るGAINER TANAX GT-R(11号車)に蓋をされるかたちで、想定より1秒以上も遅いペースを強いられる。
「このままでは後続の集団に飲み込まれ、勝機を逸する」
そこでチームは早めのピットインを決断。当初のプランからは大きく外れる19周終わりのタイミングだが、後方の空いているスペースを活かす作戦にスイッチしたのだ。この時点で近藤が履いたタイヤはブローしかかっていたが、これ以上ハードなタイヤは持ち込んでいない。
後半担当の川端伸太朗は、前半と比べて50%も長い距離をタイヤを労りながら走らねばならない。それでも、チームは勝負に出た。そつなく作業を終えて“空間”に川端を滑り込ませることに成功。そして21周目、歯車が噛み合い始める。
同クラス他車がコースオフしたことによりセーフティカーが出動。この時点でそれぞれのギャップがゼロになると同時に、ピットに入っていない前走者たちは戦う相手ではなくなり、同じく早めにピット作業を終えていたADVICS muta 86MC(6号車)に次ぐ事実上の2番手につけた。そして“実質2番手”という無線が川端に火をつけた。
「もう抜くしかないと思っていた」という川端はレースが再開された翌周の27周目、1コーナーで6号車を攻略。最初のチャンスを活かし、クラストップに躍り出た。
「6号車がほかのクルマにつまったこともあって、うまく抜くことができました。その後はプッシュして引き離せたんですけど、今度は燃料が足りないと言われて。ギャップを使いながら燃費運転をしていました」
それでも、回り始めた歯車が止まることはなかった。川端は6号車との差を制御しながら周回を重ねていくと、燃料がカツカツの状況のなか、最後はGT500クラスのレースリーダーに抜かれてからファイナルラップに突入。実質的に1周分の距離を稼いで、チェッカーを受けた。
今回の勝利はピットストップのタイミング、ライバルやGT500マシンとの位置関係など、運に恵まれたから手にできたものだ。だが、幸運を結果につなげるには、正しいときに正しい場所にいられる実力を備えていなければならない。
チームルマンが培ってきた“勝者の素養”を身につけつつある。Audi Team Hitotsuyamaが鈴鹿で挙げた2勝目は、それを証明するものだった。
from チームに注がれた“勝者の素養”。幸運も手に入れられるだけの実力をつけたAudi Team Hitotsuyama
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