「1分49秒842」
2007年当時としてはセンセーショナルだった、鈴鹿サーキットでのGT500クラスのレコードタイム。長きにわたって破るのは難しいとされていた「1分50秒の壁」をシーズン開幕戦でブレイクしたのは、伊藤大輔が駆るホンダNSX-GTだった。この年、伊藤とラルフ・ファーマンは年間3勝を挙げ、スーパーGT GT500クラスのタイトルを獲得。NSX-GTがもっとも輝きを見せた1年だった。
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1990年に販売が開始されたNSXは、ホンダのフラッグシップスポーツとして世の車好き、とりわけホンダ党からは「憧れの1台」として登場直後から熱い眼差しを浴びる存在だった。その開発には故アイルトン・セナが関わるなど、いわば誕生時から「レーシングDNA」が埋め込まれていたNSXは、レースのベース車両としても広く利用されることとなる。
当初はADAC GTカップなど一部のレースにしか出場していなかったが、1994年から3年間はル・マン24時間レース(GT2クラス)に参戦し、一気にその名を世界のレースシーンへとアピール。1996年からは全日本GT選手権(JGTC)に参戦し(本格参戦は1997年の「無限×童夢プロジェクト」から)、以降ここがレーシングNSXの主戦場となった。本格参戦2年目となる1998年には7レース全戦でPPを奪うなどNSXは当初から速さを見せつけるが、その開発は苦難の連続だった。
ライバル勢がフロントエンジン・リヤドライブ(FR)レイアウトをもつベース車両を選択するなか、ミッドシップエンジン・リヤドライブ(MR)レイアウトのNSXで戦うホンダは常に“異端”であり、それゆえミッドシップハンデや前面投影面積ハンデなど、さまざまな足かせを科せられる。開発陣はエンジンやギヤボックスのレイアウトなどの面でユニークなアイデアも織り交ぜながら愚直にマシン開発を進め、規則とライバルに打ち勝とうとしてきた。
2000年には壊れやすいミッションに手を焼きながらも、道上龍が最終戦鈴鹿で2位に入り、初めてのタイトルをNSXにもたらす。また、この鈴鹿の予選ではRAYBRIG NSXの飯田章が初の2分切りとなる1分59秒923のラップレコードでPPを奪っている。
その後は2001、2002、2005、2006年といずれも選手権争いに絡むランキング2位の座につくが、タイトルにはあと一歩及ばない。2003〜2005年はエンジンをターボへと換装。2006年からは再びNAへと戻すなど、「強いNSX」を作るためのアプローチは、2005年に量産車が生産中止となってからも続けられた。
積み重ねてきた努力が実ったのが冒頭で挙げた2007年である。最終戦を待たずして伊藤/ファーマン組がタイトルを決めただけでなく、ドライバーランキングでは4位までをNSX陣営が占めたのだ。
ホンダは翌2009年限りでNSX-GTでのGT500クラス参戦を終了。以降はHSV-010にGT500ワークスマシンの座を譲ることとなった。
そして2014年、新レギュレーションの採用とともにGT500クラスにNSX CONCEPT-GTという車両名で復帰する。2014〜2015年はハイブリッドシステムを搭載したが、同時にこれに対するハンデウエイトや、FRレイアウトを前提として設計された共通モノコックをMRに転用する不利などとも戦いながら懸命に開発を続けた。2017年にはベース車両の量産NSXも2代目へと代替わりして“復活”。そんななか、2018年には山本尚貴/ジェンソン・バトン組が同点決戦となった最終戦でライバルを辛くも退け、劇的な形でNSX-GTに11年ぶりのタイトルをもたらした。
ちなみに、かつての鈴鹿の名物レースだった「インターナショナルSUZUKA 1000km」でも、NSXの活躍は光った。スーパーGTのシリーズ戦に組み込まれる以前の1999、2000、2003、2004年にも、この伝統のレースでNSXは頂点に立っている。
近年でも2017年の1000kmではEpson Modulo NSX-GTが、2018年の鈴鹿300kmレースではARTA NSXが優勝を飾るなど、鈴鹿とNSXの相性はここ最近のスーパーGT戦でも悪くない。ドイツDTMとの共通規則「Class 1」の採用によりGT500が新型車両へと生まれ変わる2020年、NSXは新たな伝説を鈴鹿に刻もうとしている。
from 【今、振り返るGT500マシンの歴史/ホンダ編】NSX-GT──FRレイアウトで王者奪還へ
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