高橋国光総監督が長年の功績を称えられ『スポーツ功労者文部科学大臣顕彰』を受ける

 7月27日、文部科学省とスポーツ庁が、スポーツの振興に関し特に功績顕著な人物を顕彰する『スポーツ功労者文部科学大臣顕彰』の顕彰式を行い、モータースポーツ界からはスーパーGT GT500に参戦するTEAM KUNIMITSUの高橋国光総監督が、二輪・四輪のモータースポーツ競技発展に大きく貢献したとして顕彰を授与された。

 この顕彰は、「プロスポーツ史上特に優れた成果を挙げた者や多年にわたりスポーツの向上発展に貢献した」人物に授与されるもので、令和元年の顕彰者は、ゴルフ界からは長田力氏、相撲界からは西野政章氏、中央競馬から中村均氏、武豊氏、そしてモータースポーツ界からは“国さん”こと高橋国光総監督という6名となった。

 青年時代からモーターサイクルに親しんだ高橋国光総監督は、1958年から二輪でレースに出場。浅間火山レースでの好成績などを経て、ホンダとともにロードレース世界選手権に参戦。1961年西ドイツGPで日本人ライダーとして、世界選手権初優勝を遂げた。

 1962年にマン島TTでクラッシュを喫し、意識不明となり生死をさまようが、怪我を乗り越え四輪レースに転向。ニッサンワークスドライバーとしてスカイラインGT-Rの伝説を作り上げ、さらに国内トップカテゴリーで活躍。1977年F1日本グランプリにスポット参戦したほか、全日本F2(現スーパーフォーミュラ)、耐久レース、ツーリングカーレースとカテゴリーを問わずトップドライバーとして君臨。また、ル・マン24時間にも挑戦を続け、1995年にはホンダNSXで土屋圭市、飯田章とともにGT2クラス優勝を遂げた。

 1999年に引退してからは、JAF日本自動車連盟や日本モーターサイクルスポーツ協会の理事、GTアソシエイション会長を歴任したほか、そして自らのチームであるTEAM KUNIMITSUを総監督として率い、2018年にはスーパーGT GT500クラスで山本尚貴/ジェンソン・バトン組RAYBRIG NSX-GTがチャンピオンを獲得するなど、ライダー、ドライバー、そして総監督、さらにはさまざまな団体を通じて、モータースポーツの発展に寄与したことが今回の顕彰理由となった。

 この日文部科学省で行われた顕彰式には、萩生田光一文部科学大臣、鈴木大地スポーツ庁長官が出席。他顕彰者とともに萩生田大臣から顕彰状、そして銀杯を受け取った。

「この度は大変素晴らしい顕彰をいただき、ありがとうございました。『私がそんな素晴らしい賞をいただけるのでしょうか』と驚きました」と高橋国光総監督はスピーチした。

「現在RAYBRIG NSX-GTでスーパーGTを総監督として戦っておりますが、自分がモータースポーツに関心をもったのは、63年前、18歳の頃でした。武蔵小金井育ちで、多摩の田舎道を走っていましたが、まだ東名高速もない時代でした」

「そんな時代に、私は運良く本田宗一郎さんに出会い、ジェット機もない時代に、プロペラ機でヨーロッパまで往復していました。それから二輪においても、四輪においても、本当に多くの人たちに私は助けられ、レース生活を60年も送ってこられました。つくづく感謝しています。この顕彰を大事にしたいと思います」

 今回の顕彰は、スーパーフォーミュラを運営する日本レースプロモーション(JRP)を通じて高橋国光総監督が選ばれ、顕彰式にはJAF日本自動車連盟やJRP倉下明社長、そしてホンダの清水宏モータースポーツ部長らもかけつけ、顕彰を祝った。

萩生田光一文部科学大臣、鈴木大地スポーツ庁長官、5名の顕彰者とともに記念写真に収まる高橋国光総監督
萩生田光一文部科学大臣、鈴木大地スポーツ庁長官、5名の顕彰者とともに記念写真に収まる高橋国光総監督
顕彰式でスピーチする高橋国光総監督
顕彰式でスピーチする高橋国光総監督
萩生田光一文部科学大臣と言葉をかわす高橋国光総監督。萩生田大臣は八王子出身で、バイクも好きとのことから会話も弾んだという。
萩生田光一文部科学大臣と言葉をかわす高橋国光総監督。萩生田大臣は八王子出身で、バイクも好きとのことから会話も弾んだという。
顕彰式には、JRP倉下明社長、そしてホンダの清水宏モータースポーツ部長らもかけつけた。
顕彰式には、JRP倉下明社長、そしてホンダの清水宏モータースポーツ部長らもかけつけた。


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