2006年最終戦富士、最終コーナー後に起きた雨宮RX7の逆転劇【スーパーGT名レース集】

 日本でもっとも高い動員数を誇るスーパーGT。2019年にはDTMドイツ・ツーリングカー選手権との特別交流戦が行われ、2020年からはGT500クラスにDTMとの共通車両規則『Class1(クラス1)』が導入され、日本のみならず世界中でその人気は高まっている。そんなスーパーGTの全レースから選んだautosport web的ベストレースを不定期で紹介していく。

 連載3回目は2006年シーズンの最終戦だった第9戦富士、なかでもファイナルラップの最終コーナー後に劇的な逆転が起きたGT300クラスをフィーチャーする。

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「しっかりと踏め! しっかりと踏めよ! ちゃんと踏めよ! ホームイーーーン!!」

 このフレーズを聞いてピンとくるあなたは、間違いなくプロ野球ファンであることだろう。2001年に大阪近鉄バッファローズの北川博敏選手が放ったホームランに対し、実況アナウンサーが興奮しながら叫んだセリフだ。ベースを踏んだかどうかわからなくなるほど、狂喜するチーム員たちがホームベース上で彼を手荒く迎えたからだ。

 このホームランには、“代打”“逆転”“サヨナラ”“満塁”に加え、さらに“優勝決定”という修飾語がつく。あまりにも劇的で、逆に“作り物感”が生まれるほどの球史に残る伝説なのである。

 その5年後の2006年、スーパーGTでもこれに匹敵する奇跡が最終戦富士のGT300クラスで起こっている。

 このとき、タイトル争いの1台が予選で後方に沈んだことで、決勝前にチャンピオンは実質2台に絞られた。Privée Zurich・アップル・紫電と雨宮アスパラドリンクRX7の一騎打ちだ。ランキングトップの紫電は86ポイントで、RX7は81ポイント。

 RX7がチャンピオンになるには、6位以上が必要で、なおかつ紫電はノーポイントでなければならない。紫電は無理して戦う必要はなく、RX7の直後でゴールすれば良かった。仮に同点の場合は、上位の順位が多い方がチャンピオンとなる。

 事前に行われたテストでもRX7は1日のみの走行だったのに対し、紫電は2日とも走っている。RX7が走行した1日も、ドライだったのは開始早々10分程度のみだった。つまりそのデータ量からも、決勝レースがドライであれば紫電が圧倒的有利な状況ということになる。そしてその決勝は完全ドライだった。

 予選はRX7が11番手だったのに対し、紫電は13番手。RX7は、最低でもここから5台を抜いていかなければならない。旗色が悪いままのRX7に、さらにレース序盤に悪夢が襲う。

 なんと、スタート担当の山野哲也がヘアピンでスピンしたのだ。このシーンを見て凍りつくピット。山野の前を、後続車が通り過ぎて行く。もちろんそのなかに紫電もいた。前年、前々年にチャンピオンに輝いている山野にとって、生涯初となる決勝中のスピンだった。モニター上のカーナンバー7のポジションは、ぐんぐん落ちていき、22番手になってしまった。

 誰もが「万事休す」と思うこの状況、山野は「責任を取るためにはプッシュするしかない」と、もう一度気合を入れ直す。

雨宮アスパラドリンクRX7の第1スティントを担当してスピンした山野哲也は「今までのレースのなかで一番したくなかったピットイン」と表現するほどにプッシュした走りを見せた
雨宮アスパラドリンクRX7の第1スティントを担当してスピンした山野哲也は「今までのレースのなかで一番したくなかったピットイン」と表現するほどにプッシュした走りを見せた

 RX7はスティント後半のガソリンが軽くなったコンディションで強さを発揮する。また、タイヤの持ちも良く、ライバルたちのペースが上がらなくなったときがチャンス。1台、また1台と抜いていき、山野は「今までのレースのなかで一番したくなかったピットイン」を迎える。

 RE 雨宮レーシングは左側2輪交換だけして井入宏之を送り出した。紫電も加藤寛規から高橋一穂に交代したが、選択したタイヤが路面に合わず、ペースは上がらない。やがて井入はその高橋を捉えることに成功するが、その時点でようやく10番手に上がっただけだった。この時点でレースは52周目、チェッカーまで残り14周だ。

 井入はそこからさらに3つポジションを上げたが、そのままファイナルラップに入ってしまう。RX7は7番手。前のクルマは5秒も先を走っている。紫電は11番手でノーポイントだが、このままゴールすれば紫電がチャンピオンを手にする。

 だが、その約1分後に奇跡が連続して起こる。

 まずはトップ走行中のマシンがネッツコーナー(現GRスープラコーナー)でガス欠ストップした。これでRX7はひとつポジションを上げて6位以上でフィニッシュというチャンピオン獲得の条件を満たす。ただし、同時に紫電も上がり、10番手に。このままではやはり紫電がチャンピオンだ。

 紫電のピットでは、タイトル獲得の瞬間を待ちわびる加藤やメカニックたちがウォールに集まり出す。RX7が最終コーナーを立ち上がり、失意のゴールを迎えようとしたその後方で、最後の大波乱が待っていた。なんと紫電が順位を落としていたのだ。

 それに気づかずに紫電のピットは大騒ぎだったが、やがて「あれ?」という戸惑いの空気が流れる。その次の瞬間、今度は雨宮のピットで「チャンピオンだ!」という声が響き、今度はこっちが狂乱の渦に。地獄から天国を味わった山野は、そのどんちゃん騒ぎに飲み込まれた後は、「頭の中が真っ白になって何も覚えていない」という。

 この年のスーパーGTは全9戦で行われ、決勝の周回数は計746周に及ぶ。このうちの745周をすぎた時点ではRX7:85ポイント、紫電:86ポイントだった。だが、745周の最後からふたつ目のコーナーで、RX7は86ポイントになり、紫電は87ポイントになった。そしてRX7は86ポイントのまま最終コーナーをクリアし、紫電はそこで1ポイント失って86ポイントとなった。

 両車は優勝はそれぞれ1回ずつだが、2位はRX7の方が多いため、同ポイントの場合はRX7がチャンピオンとなる構図だった。

 RE雨宮は、GT参戦12年目の戴冠。それは、この年のすべてのコーナーを回った後に転がり込んで来た。

2006年のスーパーGT GT300クラスチャンピオンを獲得したRE 雨宮レーシングの井入宏之(左)と山野哲也(中央)、チームを指揮した雨宮勇美監督(右)
2006年のスーパーGT GT300クラスチャンピオンを獲得したRE 雨宮レーシングの井入宏之(左)と山野哲也(中央)、チームを指揮した雨宮勇美監督(右)


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