開幕までに知識を増やそう。カーナンバーとチーム名の由来を知る:R’Qs MOTOR SPORTS

 新型コロナウイルスの感染拡大に揺れる国内モータースポーツ界。2020年はGT500クラスへのクラス1車両の導入、年間2戦の海外開催、熾烈さを増すGT300クラスなど数多くのトピックスがあったスーパーGTも、開幕から5戦が延期となってしまった。ただ7月の開幕を前に、ちょっぴり知識をつけておけば、来たる開幕がより楽しく迎えられるはずだ。そこで、不定期連載となるがスーパーGT参戦チームのチーム名とカーナンバーの由来をお届けしよう。第20回目は、GT300クラスに参戦するR’Qs MOTOR SPORTSだ。

■R’Qs MOTOR SPORTS
マシン:アールキューズ AMG GT3
ドライバー:和田久/城内政樹
カーナンバー:22
監督:黒田朋宏
タイヤ:ヨコハマ

 決してトップを争い続けているチームではないが、チーム代表である和田久と、チームメイトである城内政樹の“1962生まれコンビ”の飽くなき情熱とともにスーパーGTに挑み続けているのがR’Qs MOTOR SPORTSだ。ちなみに、チームは第3ドライバー等加えることはあっても、基本はずっとこのコンビでの参戦。唯一の例外が2014年で、都合で出られなかった城内にかわり第1〜3戦を土屋武士が、第4戦を田中哲也がドライブしている。

 とはいえ、今年で58歳になるふたりの挑戦は今年も続く。JGTCではGT300優勝経験ももつベテラン同士が、これだけの長い期間同じチームでコンビを組み続けるというのは、他にはない珍しいチームと言ってもいいだろう。

 R’Qs MOTOR SPORTSは、2010年のスーパーGT第6戦鈴鹿がデビュー戦。当時はヴィーマックRD350Rを走らせており、シルバーにホワイト、車両メンテナンスを務めたライアンのパープルとブラックのラインが入ったカラーリングで登場。監督には現衆議院議員の中山泰秀氏が就任した。デビュー戦直前にこのカラーを手がけた方が水難事故で亡くなるという悲しみ、そして長丁場の700kmでのトラブルを乗り越え、見事完走を果たしている。

 チームは2012年までヴィーマックを走らせ、2013年からは他の多くのチーム同様のGT3カーである、メルセデスベンツSLS AMG GT3にスイッチ。この頃は『GREENTEC RACING』としても活動しており、2013年にはミュージシャンの稲垣潤一さんを監督に迎えたこともある。2018年からは、車両をメルセデスAMG GT3にスイッチし、今季も和田と城内、そしてグレーとオレンジのメルセデスでシーズンに臨む。

 そんなR’Qs MOTOR SPORTSのチーム名は、代表でもある和田にちなむ。和田は一時、ドライバー名を『WADA-Q』としていた時期があった。もちろんこれは他の多くの仲間たちが愛称として「ワダキュー」と呼ぶからだ。R’Qsの『R』はRacing、『Q』は『WADA-Q』からとられているというわけだ。

 また、カーナンバーも和田にちなんでいる。この『22』は、和田が1990年、全日本F3選手権第1戦鈴鹿で初のポール・トゥ・ウインを飾ったときのカーナンバーだ。この頃のF3は、30台ほどが参戦する大激戦だったが、この年はランキング3位に。翌年から全日本F3000に参戦している。

「常に強者たちに挑戦しつづける」という気持ちをもった仲間たちが集まっているのがR’Qs MOTOR SPORTSだ。2020年もまだまだ続くふたりとチームの挑戦に注目していきたい。

2020年のスーパーGTに挑むアールキューズ AMG GT3
2020年のスーパーGTに挑むアールキューズ AMG GT3
2012年まで使用したR'Qs MOTOR SPORTSのヴィーマックRD350R
2012年まで使用したR’Qs MOTOR SPORTSのヴィーマックRD350R
2013年には、ミュージシャンの稲垣潤一さんを監督に迎えた。
2013年には、ミュージシャンの稲垣潤一さんを監督に迎えた。
2015年のグリーンテック SLS AMG GT3
2015年のグリーンテック SLS AMG GT3
2016年のアールキューズ SLS AMG GT3
2016年のアールキューズ SLS AMG GT3
オートスポーツ1990年4月15日号より。全日本F3第1戦をせいした和田。2位は服部尚貴、3位は亡き村松栄紀だった。
オートスポーツ1990年4月15日号より。全日本F3第1戦を制したカーナンバー22の和田。2位は服部尚貴、3位は亡き村松栄紀だった。


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