GT最多勝争いはここから始まった。2005年第6戦富士、松田と立川の19周に渡る優勝争い【スーパーGT名レース集】

 日本でもっとも高い動員数を誇るスーパーGT。2019年にはDTMドイツ・ツーリングカー選手権との特別交流戦が行われ、2020年からはGT500クラスにDTMとの共通車両規則『Class1(クラス1)』が導入され、日本のみならず世界中でその人気は高まっている。そんなスーパーGTの全レースから選んだautosport web的ベストレースを不定期で紹介していく。

 連載2回目は2005年シーズンの第6戦富士。現在スーパーGTの最多勝を争う松田次生と立川祐路のふたりが19周に渡って優勝を争った1戦だ。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 松田次生と言えば、スーパーGTの最多勝男であり、その勝利数は20におよぶ。それを僅差の19で追うのが立川祐路だ。現役ドライバーでこのふたりに続くのはロニー・クインタレッリで、その数は14。つまり次生と立川はやや抜けた存在と言える。

 ライバルより優勝回数が多いということは、決勝レースに強いと言い換えることができる。そしてそれは自らミスをする“自爆”をしない、接触しても致命傷を負わない、バトルに強い、ペナルティを受けるようなミスをしない等々、速さ以外の要素でもレベルが高いという証明でもある。

 そんなふたりが激突すればどうなるか。マシンのポテンシャルが同レベルならば、当然ドッグファイトとなる。いつ終わるともわからないバトルに、観客の視線は釘付けになる。2005年、第6戦の富士でそれは起こった。19周に及ぶ壮絶なバトルであった。

 このときのポールポジションはEPSON NSXで、スタート担当のアンドレ・ロッテラーが実質トップを守ったまま松田にドライバー交代。ZENTセルモ スープラは、その1周前にピットイン。高木虎之介から立川に代わっていた。

 両車の差は約6秒。ピットアウト直後の立川は、これを秒単位で削っていく。この時のふたりのスピード差から、立川はすぐに松田を捕らえると誰もが思った。立川自身も「自然に追いつけるだろう」と予想していたという。ところがスティント後半の松田は粘りを見せる。

 この年、ナカジマレーシングはタイヤをダンロップにスイッチしていた。そのためデータはほぼなく、タイヤがどこまでもつかわからない。松田は「いくところまでいく」つもりだった。

 だが、47周目、ダンロップコーナーのブレーキングでリヤタイヤをロックさせて危うくコースアウトしかける。それを後ろから見ていた立川は「スピンしろ!」と心のなかで叫ぶ。そしてついに2台の差は1秒を切り、壮絶なバトルが幕を開ける。

 2台はテール・トゥ・ノーズの状態で、もつれるようにコーナーをクリアしていく。ふたりがもっともやり合ったのは、1コーナーだった。立川は時にはインから、時にはアウトからと仕掛けるが、松田はポジションを譲らない。

2005年のスーパーGT第6戦富士を制したZENT セルモ スープラ
2005年のスーパーGT第6戦富士を制したZENT セルモ スープラ

 53周目のストレートでは、一瞬立川が前に出るが、ブレーキングでは松田が取り返す。立川はクリッピングポイント付近でカウンターを当てるシーンもあったが、2台は接触することなく周回を重ねていく。

 スープラはストレートエンドの伸びが良く、NSXは立ち上がり加速とブレーキングが優れていた。また、ダンロップタイヤもタテ方向のグリップがいいため、松田は「1コーナーのブレーキングさえがんばれば、なんとかなる」と思っていた。2台のウエイト差はわずか10kg。タイヤのラップ数も1周違うだけ。拮抗した2台の、順位が変わりそうで変わらないバトルが続いていく。

 このバトルでもっとも盛り上がっていたのは、スタンドの観客だ。最終コーナーはどっちが前だ? ストレートでは変わらない? 1コーナーで立川行ったか? 次生が守ったか?

 2台の攻防を見届けようと、誰もが立ち上がる。2コーナーをクリアして見えなくなると、座る。また次の周もその次の周も、立ち上がっては座るの繰り返し。ラップタイムの1分40秒間隔で、これが19回繰り返された。

 抜けそうで抜けない立川は、ブレーキのフィーリングが悪化するのを感じ、徐々にあせり始める。「2位でも仕方ないかなと思った。なぜならこっちも余裕はなかったから」と、気持ちも揺らぐ。一方の松田もタイヤのグリップダウンを感じており、こちらもいっぱいいっぱい。

 残り2周に入る直前、それまで気をつけていたはずの最終コーナー立ち上がりで、松田は一瞬ロスしてしまう。立川はそのチャンスを見逃さず、ストレートで前へ。だがブレーキングでは松田が前。そこを立川はアウトからクロスを仕掛けて2コーナーをインから立ち上がる。その先のコカ・コーラコーナーではアウトからかぶせる形で完全に前に出た。激闘にとうとう終止符が打たれた。

「ごめんなさい……」

決勝後、レースで初めて涙したという松田次生。ポディウムでの表情もチームメイトだったアンドレ・ロッテラーとは対照的
決勝後、レースで初めて涙したという松田次生。ポディウムでの表情もチームメイトだったアンドレ・ロッテラーとは対照的

 抜かれた直後、次生は無線でピットに謝った。そしてゴール後のパルクフェルメでは、勝っても流したことのなかった涙を、レース人生で初めて流した。だが悔しさに暮れる松田に対し、中嶋悟監督をはじめチームスタッフは「よくやった!」と称賛。観客からの拍手も勝者に匹敵するものだった。

 この時、ふたりはともに5勝ずつで、まだ最多勝ドライバーではなかった。立川はこの年もう1勝して2回目のチャンピオンに輝くこととなる。次生は、翌年ニッサンに移籍し、エースカーである23号車をドライブ。やがて陣営を引っ張っていく存在へとなっていった。



from GT最多勝争いはここから始まった。2005年第6戦富士、松田と立川の19周に渡る優勝争い【スーパーGT名レース集】

コメント