ついに今週末11月23~24日に、富士スピードウェイで開幕する“ドリームレース”、DTMドイツ・ツーリングカー選手権のマシンが日本に飛来して、同じ“Class 1”規定のスーパーGTのマシンと対決するスーパーGT×DTM特別交流戦。すでに走行セッションが開始され盛り上がりを見せているが、今回はそのタイミングに合わせ日本のGT500勢と対峙するDTMマシンに注目する。
海の向こうのハコレース最高峰、そこには紆余曲折を経ながらも35年近い歴史があったのだった。ここでは現在発売中の雑誌『新旧DTMマシンのすべて』に収められている車両解説記事から3台をピックアップしてお届けする。
全3回、その第一弾はDTM黎明期=グループA規定下を代表する1台である『メルセデス・ベンツ190E』だ。
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1982年、メルセデス・ベンツは『190E』を発表する。それまでEクラスとSクラスの2本立てだった彼らのラインアップに加わったコンパクトセダンをプロモーションするため、メルセデスはモータースポーツを通じて190Eのスポーティなイメージを世に知らしめようとした。
ここで開発されたのが190E2.3‐16だった。モデル名は、コスワースがチューニングを担当した排気量2.3リッター16バルブエンジンに由来する。最高出力は自然吸気式にもかかわらずレース仕様では300hpに到達した。
DTMに本格的に参戦し始めたのは1986年で、その第3戦でデビューしたフォルカー・バイドラーは初戦でいきなり優勝。第4戦も制してシリーズ2位に輝いた。その後、BMWやフォードなどのライバルを相手に苦戦を強いられたメルセデスは、1989年に排気量を2.5リッターに拡大した2.5-16エボリューションを投入。
新エンジンの最高出力は340hpに達したほか、ボディパネルの多くにカーボンとケブラーを用いたコンポジット素材を採用して最低重量の1040kgを下回る車重に収めたが、それでもライバルを凌駕するには至らなかった。
1990年シーズンに入るとメルセデスは2.5‐16エボリューションIIを順次投入。最終戦までには全車が新型車に切り替わった。量産モデルで232hpを生み出す新エンジンは、レース仕様で373hp(1992年時)を発揮。
しかしそれ以上に注目されたのが、その大胆なエアロダイナミクスだった。シュトゥットガルト大学のリチャード・エップラー教授が生み出したとされるボディキットには、ルーフに近い高さまで突き出た大型の可変調整式リヤウイング、リヤウインドウスポイラーなどが含まれており、量産モデルよりダウンフォースを増強しながら0.29という当時としては驚異的なcd値を達成していた。
この恩恵もあって、1991年はドライバーズタイトルこそアウディのフランク・ビエラに奪われたものの、メルセデスはコンストラクターズタイトルを獲得。続く1992年にはコンストラクターズタイトルを連覇したうえにドライバーズ選手権のトップ3を独占し、ようやく宿敵BMWに一矢報いたのである。
それは1993年にクラス1規定が導入される前夜の、いわば古き良きDTMが終わりを告げようとしていたシーズンの出来事だった。
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サンエイムック『新旧DTMマシンのすべて 1984-2019』は11月5日より好評発売中。
from 大胆エアロ採用も。黎明期に進化続けた『メルセデス・ベンツ190E』/DTMを歴代名車で振りかえる
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